考え方のちょっとしたヒント集,望月聖司
1.会話のルールと野球の審判

 かつて子供野球の審判をしていました。というよりも、やらされていました。「自分に審判なんてできるんだろうか」と、どぎまぎしながら始めたのですが、初っぱなの講習会から感動してしまいました。
 たとえばランナーがベースに滑り込んだとします。その時の審判の対応は、まず、一番確認しやすい位置に自分を持っていく。次に、アウトかセーフか判断する。そして、一呼吸おいて最後にジャッジする。「アウト~!」「セ~フ!」です。
 どこがポイントかと言うと、一呼吸おくところです。普通、人間というものは、ゲームの流れでアウトかセーフかが直前にわかってしまうそうです。しかし、ベースに足、ランナーにグローブがついた瞬間にジャッジすると必ず両者から不満が出るし、審判として信用されないというのです。ランナーが滑り込んだ。ボールが来た。タッチをした。タッチの方が早かった。よし、確認した。「アッウット~!」…。これを遅すぎず、早すぎず、誰の目から見ても納得のいくタイミングでジャッジをすることが大切なのです。
 生活の中でも、同じことが言えます。人の話を途中まで聞くと大体のあらすじがわかってしまい、最後までしっかり聞き終わらぬ前に返答してしまう。そんなことをしていたら、相手の言いたいことも正しく聞けないし「この人はしっかり聞いてくれない」と信用をなくしてしまいます。これまで、そんなことをいっぱいやってきたと思います。
 野球のルール、いや審判のルールから、会話のルールを学びました。

■伝えるために相手を知ることのススメ
 どんな場合でもまず、相手の言うことに耳をかたむける。そしてたとえ賛成できなくても「この人はこう考えているんだな」と受けとめられるようになりたいものです。そしてこちらの気持ちも、相手の人柄を見て伝える努力をしましょう。伝えようと努力をすることで、自分が相手を理解できるようになっていくのだと思います。


2.すべり台は登るモノ!?

 公園を通りかかったら、小さな子供がすべり台のすべるところを登ろうとしていました。
 するとその子のお母さんが「だめでしょ、ちゃんと階段から登らないと」と言ったのです。ほかに順番待ちの子供がいたワケでもありません。
 はたして、すべり台はすべるだけのものなのでしょうか。
 子供だった頃、さまざまなすべり台をいっきに駆け登ることにチャレンジし、多くのすべり台を制覇してきました。ツルツルすべる長い板を登る。この難関に挑戦することで、不可能を可能にする達成感を知り、自分の勇気と体力に信頼感を培ったともいえます。
 子供には「すべり台は登ってもよい」というルールを決めたらどうでしょう。もちろん「人に迷惑をかけない」という条件付きで。
 大人、子供に限らず、ある一方からしかものごとを見ることができない人が増えています。知識はあっても知恵がない。あれもダメ、これもダメ、それもダメ…。その子供が素直であればあるほど、きっとすべり台はすべるだけ…そう思い込んでしまいます。
 遊んでたって、仕事してたって、あれもイイね、これもイイね、それもイイかもね…そう考えていった方が、アイデアも楽しさもグ~ンと広がります。みょうに常識的に考えてしまっては子供も大人も枠の中に閉じ込められてしまう、いや、閉じ込もってしまいます。
 子供たちに「すべり台は、すべるよりも登る方が楽しいぞ」と言ってあげたい。

■多角的にモノゴトを見ることのススメ
 十円玉の形は、はたして丸なのでしょうか。女の子がお人形より車のおもちゃをほしがってはいけないのでしょうか。私たちは知らない間に、偏った常識にとらわれている場合があります。もっと多角的にものごとを捉えられれば、楽しさも、工夫も、知恵も広がることがたくさんあると思います。それにどれだけ気がつけるかが、その人の個性なのかもしれません。


3.子供は成長の素

 2歳、3歳、4歳くらいの子供は本当にパワフルです。よく泣く、走り回る、食べまくります。あの小さな体から、どうしてあんなエネルギーが出てくるんだろうと感心します。
 バナナなども平気で一本を食べてしまいます。大人と子供の体格の比率を考えると、三倍くらい大きなバナナを大人が食べるのと同じです。ケーキもおせんべいもです。
 食べ物以外にもいえます。たとえば階段。子供は、ものすごい高さの階段を1歩1歩上がっていることになります。
 そういえば、私の娘の小さい頃を思い出しました。
 歩く時、私は別にスピードをゆるめて歩いたことなどありませんでした。それでも娘はけなげに、一生懸命走るように手をつないで歩いていました。そのけなげさを楽しんでいたような気もしますが、今思い返すと、とても申しわけなかったと思います。と同時に、人に対する思いやりのなさに気づきました。
 子供が1歳になると、親も親として1歳になります。親と子は同時に成長しています。親は、実際にしつけをしたり、自分の姿を通して生き方を教えたりして、子供に尽くしていきますが、子供もその小さな体で、可愛い姿で、自分の親を親にしてくれています。しかも子供の成長はとてもパワフル。そのスピードに負けないように親も一緒に成長していけば、たくさんのことを教わり、大きく伸びることができるのだと思います。

■育ち育ててもらうことのススメ
 人間だけではなく、植物や動物を育てることなどにも同じことがいえます。小さい頃の可愛らしさに癒されるということもありますが、成長していく姿が頼もしく、こちらまで元気づけられるからです。その出会いの中からどれだけのものを学べるかで、私たちは度量を問われているのかもしれません。子供たちは成長の素です。そのけなげさ、強さを励みに、一緒に成長していきたいものです。


4.犬種差別

 以前は自転車で通勤していましたが、最近、のんびり風景を楽しんで歩く心の余裕がほしくて、徒歩で通うことにしました。それでも会社まで、たったの7~8分。でも公園を突っ切ってくるため、わずかな時間の中でたくさんの犬の散歩に出会います。
 最初の頃は「あ、柴犬だ」とか「マルチーズだ」とか犬の種類で見ていましたが、ある朝ふと気づきました。よくよく見ると、みんな性格もちがうし表情もちがいます。当たり前のことですが、今さらのように気がついたのです。
 飼い主から逃走した「秋田犬」は、駆けながら振り向きざまに笑っていました。片足を上げて眉間にしわを寄せて哲学している「シェパード」もいます。小型犬でも堂々としている奴もいる。お爺さんの歩調にあわせてゆっくり歩いている「柴犬」は、絶対に引き綱を張りません。ある犬は、初めの頃は私の顔を見て駆け寄ってきてはギャンギャン吠えていましたが、何度も会ううちに吠えなくなりました。
 なんか、今まではシルエットだけで見ていたんだな…とすごく反省しました。101匹わんちゃんの「ダルメシアン」も、模様だけで見分けないようにしよう。小さな「チワワ」だからきっとか弱いんだろう、という見方はやめよう。
 知らないうちに差別していた自分に「早く気づきなさいよ」と教えてくれたワンちゃんたちの顔がいくつも浮かんできました。これから、もっとみんなと仲良くなれそうな気がした朝でした。

■自分の偏見に気がつくことのススメ

 「普通、こうなんじゃないの」などというのは、しっかりとした根拠がなければ、その人から見た一方的な見方の場合が多いものです。たとえば「自分は災害にあったりしない」と思うのは「平常の偏見」と言うのだそうです。自分でも気づかないところで、偏った見方や考え方をしている場合があるかもしれません。根拠のない自信やあいまいな表現はできるだけ避け、なぜそう思うのかをちゃんと言える自分でありたいものです。


5.経験・体験の使い方

 人間は毎日毎日、大量の経験・体験をしています。この経験・体験は使い方によって死にもするし、活かせもします。
 たとえば大失恋をしたとします。この体験を自分だけのものにしてしまうと「私は悲しい、つらい、不幸な人間だ」で終わってしまいます。ところがこれを人のために役立てようとすると、同じように失恋で苦しんでいる人の気持ちをわかってあげられるし、助言もしてあげられるかもしれません。
 何かを成し遂げた時には、それを自分だけのものにして喜んでいると自慢や自惚れに見えてしまいますが、その経験を参考にしてもらえるようにと人に語っていけば、みんなに喜ばれます。このように、経験・体験というものは、どんなことも活かしていけるし使い方はとても簡単です。
 先日、ヘルパー歴30年というお婆さんと会いました。お婆さんは「昔のお年寄りはヘルパーに行くと”ありがたい、ありがたい“ととても喜んでくれたけれど、今は”当然“という態度のお年寄りが多い」と言っていました。そのお年寄りたちは悲惨な戦争を体験してきた世代です。この話は「戦争という大変な経験をしたからといって、みんなが人格を身につけるわけではない」ということを証明していると思います。どんな大変な体験も、正しく受けとめなければただの悲惨な思い出になってしまいます。
 経験・体験を正しく素直に受けとめて、役立てていける人間になりたいと思います。

■生活の中から学ぶことのススメ
 自然から学ぶ、社会から学ぶ、親から、友だちから、先生から学ぶ。兄弟、彼氏や彼女、そしてペットから、映画や本から、先哲者から何を学んだか。ファッションや趣味を通して何を学んだか。私たちの周りには数えきれない学びの師匠がいます。すべて過去と現在という時間の中で繰り広げられてきました。体験はすべて、自分だけの貴重な学びのために存在しているのです。


6.部下をもとう

 上の立場の人が下の立場の人を見るのには3年かかるけれど、下の立場の人は上の立場の人を3日で知ってしまう、という言葉があります。上司は、全体の向上のために部下たちの良いところを探さなくてはいけないのに対し、部下はそんな責任を感じることなく上司の悪いところを中心に見ている、ということのようです。
 言い換えると、悪いところを見るのはたやすいけれど、良いところを探すのは難しい、ということではないでしょうか。
 これは上司と部下の関係だけではなく、親と子、先生と生徒などにも言えることです。いくらしつけが大事だからと、親が子供の悪いところばかりを見て叱っていたのでは、子供は悲しくなってしまい、心を開いてくれなくなります。逆に、一生懸命に良いところを見つけてほめてあげれば、自信が芽生え、活き活き伸びてくれます。
 上に立つ人というのは、それだけの責任があるのです。
 部下を持つということは、きっと、「人の良いところを見つけられる人間になりなさいよ」ということです。また、そうすればいろんなことに気がつけるようになり、「あなた自身が成長できるのですよ」ということだと思います。人間的に成長したいと思うのなら、部下を持つことがいちばんの近道かもしれません。

■教えることでつながることのススメ
 部下や後輩ができても、自分がわかっていないと教えることができません。だから教えるために確認する、勉強する。すると自分が成長させてもらえる、とも言えます。人のためにと思ってすることが、結局は自分に返ってくるのです。そして教えてもらった部下は、またその部下のために勉強する…人はこうしてつながっていくのだと思います。


7.思いやりの交通ルール

 交通の社会においては、私は歩行者、自転車、バイク、乗用車の4役を務めています。
 歩行者からの立場で言うとバイクや乗用車が乱暴に見えてしまうし、自転車に乗っている場合には歩行者がすごく邪魔になってしまいます。乗用車を運転している時には、バイクや自転車がとても危険でうっとうしく感じます。
 そう考えると、人というのは本当にジコチューだなとつくづく思います。
 あえて「気をつけなくてはならない優先順位」をつけるとしたら、強いものから思いやりを持った方がいいのではないでしょうか。乗用車、バイク、自転車、歩行者の順です。でも、気をつけないと痛い思いをする順番は歩行者、自転車、バイク、乗用車の順でしょうか。
 もっと視野を広げてみると、犬の散歩をしている人、小さな子供たち、車イスに乗っている人、目や耳の不自由な人…。さまざまな人たちが歩いています。「止まれ」とか、「一方通行」などの通常の交通ルール以上に、もっともっと思いやりを基準にした交通ルールを、みんなが意識することで本当の交通安全が生まれるのではないでしょうか。

■思いやりの八方美人のススメ
 決まりだからそれに従う、というよりも、その決まりがもともと何のためにあるものなのかを考えてみる。そうすればもっと、決まりではないけれど人のために思いやった行動や、できることからやってみる、という行動も現れてくるのではないでしょうか。それは、交通ルールに限らず、携帯電話やタバコのマナーなどにも言えること。思いやりとは画一的なものではなく、人それぞれの立場に合わせた、言うなれば思いやりの八方美人がいいようです。


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