考え方のちょっとしたヒント集,望月聖司
8.発言権

 初めて講演というものをした時のことです。
 緊張しながらも話しをしていて、人生の大先輩たちや、はたまた初々しい若者などが目を皿のようにしてこちらの話しを聞いてくれているのを見て、「こんな自分でも発言権を持てたんだ」とうれしくなりました。聞いてもらえることがありがたくて、話している自分の方が感動してしまったのです。聞いている方たちはつまらなかったかもしれない、と思いながらも、みょうに手応えを感じ、興奮気味で帰ってきたのを覚えています。
 そして発言権を持つことのすばらしさを知りました。
 長い間仕事を続けてきて、それなりに専門性を持ててきたので講演の依頼もいただけるようになったのですが、聞いてもらえる人間性がなければ発言権はいただけないものだと思います。その時から「聞いてもらえる自分になる」という概念がインプットされました。以来、考えごとをする際はいつも「話す相手が前にいる」というイメージを持つようになり、それが自分を励ましてくれているようです。
 どんな正論であっても、すばらしい内容であっても「あなたの言うことなんか、聞きたくないよ」と思われてしまっては何にもなりません。「この人の言うことなら」と思って聞いてもらえる人間性が必要だということです。話す内容の専門性とそれを聞いてもらえる人間性の両方を兼ね備え、人の役に立つ発言ができる、そして発信している内容を信じてもらえる人間になっていきたいと思います。

■自己主張ではなく自己表現のススメ
 人に何かを話す時、自分の思ったことを、相手の性格や立場を考えずに、ただ自分の思ったように言うのが「自己主張」。自分というものをまず自分自身しっかり理解し、相手に対して伝わりやすいような工夫をするのが「自己表現」。同じように見えても、何をどう伝えるかという部分で大きな違いがあります。自分の考えを正しく伝えるには「自己表現」が大切です。


9.おいしくいただく

 20代の頃は、ご飯を食べるのが苦痛でした。
 面倒だし疲れるし。胃腸が弱いせいもあったかもしれません。しかし、もともとは生き物を食べるということに対する罪悪感が強かったのが一番の原因だったと思います。
 食事なんて、宇宙食のように一分で済んじゃえばいいのに、と真剣に思っていました。グルメなどと言っている人たちは、自分の楽しみのためだけに生き物をむさぼっているような感じがして、軽蔑さえしていました。
 ところがある時、食べ物というのは贅沢にするものではなく、その素材を活かし、おいしくいただくことが最高の供養になる、という話を聞きました。
 その時から考えが変わりました。人間、なんだかんだいっても食べなければ生きていけません。だったら粗末にせず、残さず、おいしくいただくことが一番良いのではないか、と思えるようになったのです。不思議なもので、それからは一つ一つの素材の味を感じられるようになりました。すると今まで嫌いだった食べ物も、ほとんど好きになってしまったのです。
 食べさせてもらった生き物にも、よりがんばって生きることで何かを返せるような気持ちが持てるようになりました。しっかり噛みしめるとでもいうのでしょうか。一つ一つの話も、一人ひとりの人間の考えも、少しずつ大切に受けとめられるようになってきたような気がします。歳をとるごとにいろんな味わいを感じられるようになって、最近では、おいしくないモノやできごとも、それなりに味わえるようになってきたようです。

■もっと命について考えることのススメ
 お刺身やハンバーガーのもとが何かを知らない子供たちが増えていると言われますが、大人だって、生き物の命がかかっていることを忘れているのではないでしょうか。畜殺されるところを見たら「かわいそう」と言うのに、平気で食べ物は残す。かわいそうと思える気持ちがあるのならば、動物の死を見つめ、命のことを見つめたいものです。きっと食べ物を無駄にできないと思います。


10.なんで、なんで

 人間は考えることができる。そこが一番優れているところではないでしょうか。
 子供の頃、誰もが「なんで、なんで」とお父さんやお母さんに聞いた憶えがあると思います。しかし、親はじょうずに答えられそうもないと「そんなこと、どうでもいいの」などと言ってしまうことがあるのではないでしょうか。そんなことの連続や、考えの壁のようなものにぶつかって、考えるのをあきらめてしまっている人が多い気がします。答えが出ないと進めない症候群にやられてしまっています。
 答えは、自分でつくるものです。宇宙はどこまで続いているんだろうと考えてわからなくても、考えてもわからないくらい大きいものなんだ、と答えを出せばいいのです。人間ってなぜ生まれてくるんだろうと考えてわからなかったら、きっと意味があって生まれてくるんだろう、と答えを出せばいいのです。とにかく答えには無限の幅があるし、深さもあるのだと思います。
 何にでも疑問を持つのは子供の専売特許みたいに思われていますが、大人にとっても大切なことです。生活の中で何にでも興味を持つことができれば、未知のモノをどんどん受け入れる姿勢ができてくるからです。
 自分の答えを受け入れられるのであれば、なんで、なんでと考えていくことできっと成長することができます。だからずっと、「なんで、なんで」を続けて行きましょう。答えの出ないことなどひとつもありません。

■クエスチョンサーチのススメ
 私たちは身の周りで起きている現象からいろいろ学んでいます。その中の基本となるのがクエスチョンサーチ(ギモン出し)です。ギモンに思うところが自分の興味のあるところであり、自分の情熱や目標が隠されています。身の周りで起きている現象からギモンを見出し、そこから前進するためのキーワードを探しませんか。


11.問題解決は目標開発

 いろいろな人に相談を持ちかけられますが、その内容の100%が人間関係のことです。
 「どうすれば、夫婦でいい居酒屋を開けるか」の話は、「どうやって、お互いの想いのすり合わせをすればいいか」という話だったりします。「子供の進学はどうしたらいいか」の話には、「その子はどんな性格で、将来何をしたいと思っているのか」が関わってきます。
 みんな問題の解決の糸口を見つけようと話しに来るのですが、ほとんどの人が、何が悪いのかを決めつけようと悪者探しをしています。しかし、どんなに誰が、何が悪いかを見つけても問題解決にはなりません。
 問題ごとにかならず原因があります。それに気がつけるかどうかです。そして気づいたことで相手をどうこうしようとする前に、自分のできること、自分がしなくてはならないことを見つめるべきです。
 相手にどんな理不尽なことを言われても、相手を言い負かそうとか、理屈でわからせようと思ったらもっともめるだけ。もし変なことを言われたら「なぜこの人は、こんな変なことを言うんだろう」と、一呼吸おいて考えてみることです。そして原因を見つけ、それを受けとめていくことが自分の進歩にもなるし、問題解決につながるのです。
 ようは問題解決というのは、原因を探し出してそれをどうすれば良いかを見つける、目標開発なのだとつくづく思います。この話を納得してくれて、問題ごとを目標に変えることができた人はみんな、解決に向かっています。

■どんなことも目標にしてしまおうのススメ
 アクシデントが起きると、そのできごとに最終的に1番近いところにいた人が非難されたりします。でも原因はそのずっと前からあって、小さな見過ごしや「これくらい、まあいいか」の積み重ねが招いていたりします。誰か1人を悪者にしてその場を収めたとしても、本当の解決にはなりません。現象を責めずに原因を解明しましょう。そして解決できる知恵と断行力を持ちたいものです。


12.知識の使い方

 知識は何のために必要なのでしょう。そう聞かれると、多くの人は答えにくいようです。本来、知識とは情報であり、それをどう使うかが問題です。なのに今の教育は知識教育にとどまっていて、その先にある、どう使うかというところまでは到達していないようです。
 知識というのは、目標を見つけて行動をするために必要な要素というか、ひとつの道具のようなものです。知識を有効に使い、ひとつの経験や体験にすることで、知恵がついていくのです。もっと言い換えると、アイデアを出すために知識は必要なのです。大学で講議をしていると、「どうやったらアイデアが出るんですか?」と生徒によく聞かれます。しかし、いくら考えても、その前に知識がなければアイデアは出てきません。アイデアの素になる要素をいっぱい取り込んでおかなければ、何も思いつかないのです。
 そして知識というものは、失敗しても良いから使ってみないと身につかないようです。ちょっとした失敗を恐れる心では、せっかく受けとめた知識を使えず、腐らせてしまいます。知識は、取り入れ方だけでなく整理の仕方、そして使い方が大切なのです。
 知識教育が充分普及した次の段階として、今後は、知識の使い方の教育の出現が望まれています。そして最終的には、人格の向上にまでつなげていくことが必要になってきます。知識とは、体験や経験から取り入れられ、人間性を磨くために使われるべきものだと思うからです。
 知識教育と人格教育。
 これからの時代、この2つの教育を実行していくことがとても重要だと思います。

■勇気を持って学ぶことのススメ
 何も知らなければ不安もなかったのに、知ってしまったために怖くなってしまうことがあります。またいろいろなことがわかったばかりに、頭にきたり、あきらめたくなってしまったり。半端な知識はかえって人を惑わせます。それを乗り越えて学ぶところに、本当の安心を得ることができます。そしてその知識を暴走させずにすむような、人間性のバランス感覚を育てる教育がほしいものです。


13.心の洗い方

 もともと車が好きだったので、毎週日曜日にはせっせと洗車をしていました。
 心がスッキリするし、車の調子も良くなるような感じがするのです。気のせいかなぁと思いつつも、「そんなこともあるさ」と自分の中では受けとめて、車と自分の仲を確認していたようなところがありました。
 しかしここ数年、仕事が忙しくなるにつれて自動洗車に出してしまったり、部下が洗車してくれたりして、ずいぶんとやっていませんでした。ふと先日、また思い立って久しぶりに洗車をやってみたのですが、やはり心が洗われるような気がするのです。
 よくアイデアを考えていてムシャクシャすると、手を洗っていました。気持ちがさっぱりしてアイデアが出るからです。そんな時には歯を磨くという知人もいます。どうも人間は、何かを洗うことで心を洗っているようなところがあるようです。
 決めた日の朝、会社のトイレ掃除をするようにしています。不思議なことにトイレを掃除していると必ず、仕事の不満や家庭、友だちへの不満が出てきます。だからいつも、そんなことではいけないと思いつつ、一生懸命に自分の心を洗うつもりでトイレ掃除に取り組んでいます。
 いろいろな物や場所で、人間は自分の心の洗い場所を持つことができるようです。

■他を癒して自分を癒すことのススメ
 人の心は洗うとか片づけるという、何かをキレイにする行動でしかキレイにできないようです。それも、もともとキレイなところをちょこちょこっとするくらいではなく、ムシャクシャしたものを洗い流すのですから、それを見つめられるように、なるべく汚いものを洗うことが効果的です。たとえば人の相談にのって荒んだ心をきれいにしてあげることも、自分の心を磨くことにつながるようです。


14.枝打ち

 会社の近くの公園に、樹齢110年のそれはそれは素敵な木が3本あります。
 見晴らしの良い明るくフラットな公園に、「これまでも、そしてこれからもずっとみんなを見守っていくからね」と言って大黒柱のように立っています。
 冬になっても緑の葉が生い茂っているのですが、ある朝見ると枝打ちがしてありました。前日「枝打ちをしているな」と気にとめていたのです。
 枝打ちされたその姿を見て驚いてしまいました。生い茂った風貌もみごとだったのですが、枝打ちされた姿は枝のバランスも良く、風通しも光の通しも良さそうな、見る人の気持ちまでスッキリさせてくれるような姿に変身していたのです。
 「う~ん」とうなってしまいました。人の心に見えたからです。
 いろんなことを知りすぎてノイローゼ気味になってしまう真面目な人が多いのではないか、と最近よく思っています。そんな人たちに、このすばらしい枝打ちのように「もう、このことは捨てていいんだよ、その過去はもう充分に学習したんだから、忘れてもいいんだよ」と言ってあげられるようになりたいと思いました。
 生きることの先輩であるその木に「人間、のびのび自分らしく生きるために、上手に心の枝打ちをすることが必要なんだ」と教えてもらいました。

■のびのびスクスクのススメ
 木の枝は人間の個性や才能と同じです。最初は自由にのびのび伸ばしましょう。やがて、余分だなと思った箇所や必要なくなった箇所を取っていけば良いのです。切り取られることを恐れて最初から縮こまっていたのでは、大きな心やステキな心は育ちません。それが素直に成長していくということだと思います。


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